オモロイ坊主の「ヴィパッサナー瞑想」と「慈悲の瞑想」
『ヴィパッサナー瞑想』
オモロイ坊主こと 藤川 チンナワンソ 清弘 和尚の言葉
-----------------------------------------
瞑想は心の微細な乱れを鎮静化し、知恵の体得を助けるための手段です。
瞑想の極地を主観と客観の区別のなくなった状態、無念無想の境地に達する事だと信じている人もいるようですが、
『ウイッパサナー瞑想』の目指すところは『真の知恵
(諸行無常。諸法無我。一切皆苦)
と言うこの世の真実』を得るための手段であり、この状態はそこへ至る過程に過ぎない
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
マハーシ瞑想センターの『実践的ヴィパッサナー瞑想の手引き』
(ミャンマ・ヤンゴン)
【これは、ミャンマーのヤンゴンに在る、『マハーシ・ヴィッパサナー瞑想センター』の創設者・マハーシ大長老(故人)が、在家の瞑想修行希望者に書かれた
『瞑想入門書』の日本語版を追加及び訂正し、手を入れさせて頂いたものです。
(藤川)
『ヴィッパサナー瞑想』 (一)
ヴィパッサナー、言い換えれば『洞察』の瞑想は、過去の瞑想者達の努力によって、私達のありのままの、心理的、身体的現象を、正しく理解する事ができる瞑想となりました。
私達は身体的現象を見つめることによって、その全体を認識できます。
そして身体全体が物質的要素の集合によって、構成されていることを明確に認識します。
身体的現象であれ、心理的現象であれ、自分におこる現象は全て意識(心)の作用です。
私達はいつでも、見たり、聞いたり、匂いをかいだり、味わったり、触れたり、考えるなどの、身体的・心理的現象をはっきり確認(サティ=気づき)できます。
私達は、それらを観察することによって、私達自身が、それらに気づいていなくてはいけません。
そして、次のように確認(サティ)するのです
『見ている、見ている』
『聞いている、聞いている』
『嗅いでいる、嗅いでいる』
『味わっている、味わっている』
『触れている、触れている』
『思っている、思っている』
と。
いつも私達は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、思う、
というその事実を、確認(サティ)していなければなりません。
しかし、実践を始めたばかりのときは、起こっていることをいつも確認(サティ)するということができません。ですから、まず最初は起こっていることを単純にはっきり知ることです。
私達が呼吸をするたびに、明らかにお腹はふくらみ、縮む、という運動を繰り返しています、これは、物質的特質である、動きの要素として知られています。
まずはこの、お腹のふくらみ、縮みの動きを一心に観察し、そして、確認(サティ)するべきです。あなたは、息を吸うときにお腹がふくらみ、息を吐くときにお腹が縮むことを知るでしょう。
意識的に、ふくらみを『ふくらみ』と、縮みを『縮み』と念じるべきです。
もしも動きがはっきり観察できないならば、お腹に手のひらを当てて、ふくらみ、縮みに触れてください。
呼吸の仕方は変えず、早くもなく、遅くもなく、また呼吸を強めることもなく、続けて下さい。
普通と違った呼吸の仕方をすると疲れます。呼吸はごく普通に一定にして、お腹がふくらんだり、縮んだりしているのを、意識の中心に確認(サティ)してください。
言葉にして言う必要はありませんが、言葉で確認(サティ)した方がやりやすければ、言葉にして確認(サティ)してもかまいません。ヴィパッサナー瞑想では、それをどんな言葉で確認(サティ)しようと、言葉は問題ではありません。
それよりも、起こっている事実を知り確認(サティ)することが重要です。起こっている『事実』つまりお腹のふくらみ、縮みを念じている間、その初めから終わりまでを、まるで眼で見ているかのように、観察してください。このように、お腹のふくらみ、縮みを念じていると、同時に気づきが生まれます。
お腹の動きを観察して確認(サティ)している間でも、心はどこへでもさまよいます。
それについても意識的に『さまよっている、さまよっている』と確認(サティ)しなければなりません。1〜2度確認(サティ)すると、心のさまよいは止まります。
止まったら、再びお腹の『ふくらみ』『縮み』にの確認(サティ)に戻って下さい。
>戻る 2へ
ご意見ご希望、リクエスト(こんな動画が観たい!)、動画や音楽、詩の掲載に
ついてのお問
い合わせ、動画の感想などメールお待ちしています。
また、ホームページ作成、作成のご依頼&Web用動画撮影&編集&エンコードの お仕事のご依頼も受け付けております
詳細はこちらから