オモロイ坊主の「ヴィパッサナー瞑想」と「慈悲の瞑想」
ヴィパッサナー瞑想について2
もし誰かと会っているような想像をしたならば『会っている、会っている』と確認(サティ)して、ふたたびお腹の『ふくらみ』『縮み』の確認(サティ)に戻って下さい。
誰かと会って、話しているなら『話している、話している』と確認(サティ)して下さい。
考えたり、過去を振り返ってみたり、どんなことでも確認(サティ)して下さい。
もし想像したなら
『想像している、想像している』
と、考えはじめたら
『考えている、考えている』
と、何かを計画しているなら
『計画している、計画している』
と、嬉しいなら
『嬉しい、嬉しい』
と、退屈だと感じるなら
『退屈だ、退屈だ』
と、喜びを感じるなら
『喜び、喜び』
と、落ち込んでいるなら
『落ち込んでいる、落ち込んでいる』
と、このようにして、心の状態をありのままを観察し確認(サティ)します。
なぜそれをするかと言うと、私達はこれらの作用を誤って確認(サティ)しており、人格や個人とともに、あらゆる対象に同一化してしまう傾向があるからなのです。私達は
『私が想像している』
『私が考えている』
『私が計画している』
と子供の頃から考えてきたのです。
しかし、それらは意識の働きの連続にすぎず、そのような『私』は存在していません。
心の状態のありのままを観察し確認(サティ)し続けると、それが何であるかを知ります。
私達は、そのときそのときに生じてくるあらゆる意識の動きを観察し、確認(サティ)しなければなりません。確認(サティ)すると、それは消え去っていきます。
それから再び、お腹のふくらみ、縮みを確認(サティ)することに戻ります。
(二)
長く座禅をすると、しびれや熱さが身体に生じるでしょう。また痛みや疲れを感じることもあるでしょう。
これらもすべて注意深く観察し確認(サティ)して下さい。
このとき
『私は熱い』
『私はしびれている』
『私はその瞬間、大丈夫だった』
『私は、今感じている不快な感覚が不安だ』
など、これらの感情と自我とを同一化するのは間違いです。
これらの感覚には『私』など含まれていません。
ただ、別な感覚のあとに、新しい不愉快な感覚が連続しているのにすぎません。感覚は、他の感覚の後に生じます。身体のしびれ、熱さ、痛みの感覚のいずれの感覚も、注意深く意識して確認(サティ)するべきです。
瞑想者が瞑想実践を始めたばかりのときには、これらの感覚は増大して、姿勢を変えたくなるかもしれません。この『姿勢を変えたい』という欲求自体も、身体のしびれや熱さを観察した後で、きちんと確認(サティ)されるべきです。
忍耐は涅槃(悟り)に導くといわれます。
それは、瞑想の努力をする人のためには、とても適切な言葉です。
人は、瞑想するにあたって、忍耐しなければなりません。
もししばしば姿勢を変えたくなるようなら、それは身体のしびれや熱さを感じるからですが、その場合正しい集中(サーマディ)を成長させることはできません。
もし正しい集中が出来ないなら洞察の智慧は実らず、涅槃に導かれる道とその道の果には到達しません。瞑想には忍耐が必要なのです。
この場合の『忍耐』とは、主として、しびれや熱さ、痛みや他の苦痛、つらい感覚など、身体の不愉快さに関する忍耐のことです。
そのような不愉快な感覚が起こったり、姿勢を変えたくなるときも、すぐにあきらめるべきではありません。忍耐強く『しびれ、しびれ』『熱い、熱い』と確認(サティ)しながら瞑想を続けて下さい。集中が上手くいって強くなると、緊張した感覚は消え去っていく傾向があります。そうなってから、お腹の『ふくらみ』『縮み』の確認(サティ)することに戻って下さい。
しかし長い間確認(サティ)を続けても、ある感覚が消え去らない場合は姿勢を変えるべきです。姿勢を変える場合は、そのときから確認(サティ)を始めて下さい。
『変えたいと望んでいる。変えたいと望んでいる』
と確認(サティ)します。もし腕を上げるなら『上げる、上げる』動くなら
『動いている、動いている
』触れるなら
『触れている、触れている』
と確認(サティ)して下さい。
もし身体を揺らすなら
『揺れている、揺れている』
と
、足を上げるなら
『上げている、上げている』
と、
下ろすなら
『降ろしている、降ろしている』
と確認(サティ)します。
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