オモロイ坊主の「ヴィパッサナー瞑想」と「慈悲の瞑想」
オモロイ坊主の「ヴィパッサナー瞑想」の注意点
瞑想は、サティによって心の微細な乱れを沈静化し、この世のすべての現象が『無常』『苦』『無我』であることを、確信を持って認識する真の智恵を獲得して、日常生活に生かし、明るく幸せな日々を送るための一つの手段である。
その瞑想実践を実り多くあるものにするためには、少なくとも『五戒』(生きとし生きるものを殺さない。与えられていないものを盗らない。邪淫な行いをしない。嘘をつかない。
酒を飲まない)を守り、戒律という外的な規制によって、心の大きな乱れをなくする必要がある。
座る瞑想をしていると、だんだん集中力が増してきて、さらに瞬間、瞬間の気づき(サティ)に徹していると、精神統一(サーマディ)状態になっていくのですが、そうなると人によっては、瞑想中に突然『光』が現れたり妄像が見えたりすることがある。
そういう現象が現れると瞑想者は、どうしてもその珍しい対象を追いかけたくなるが、これは妄想ですから捉われたりせずに、光が現れたら『光、光』他の現象が現れたのなら『妄像、妄像』と確認(サティ)することです。
その現象や対象が、自分にとってどれだけ大切なものに思われようが、ただ現れた現象を確認(サティ)するだけで、追いかけてはいけません。
時には菩薩や仏がまるで実像のように現れることもあるが、しかしそれもただ単に自分の心が勝手につくりだしている妄像に過ぎませんから『妄像、妄像』と確認(サティ)して下さい。
どんなに集中力が強くなっても、妄想や妄像は起こりますから、その現象にとにかく早く気づき『妄想、妄想』と確認(サティ)して、お腹のふくらみ、縮みの観察と確認(サティ)に戻って下さい。
『つくられた諸々のものは無常である(諸行無常)と明らかな智恵をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である』
『つくられた諸々のものは苦しみである(一切皆苦)と明らかな智恵をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である』
『そして諸々のものには実体がない、我ならざるものである(諸法無我、非我)と明らかな智恵で観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である』
法句経より
『瞑想は、ものごとの内側を深く見、どうしたら自らを変え、どうしたら状況を変革するかを見通すことです。状況を変革することは、私達の心を変革することでもあります。
私達の心を変革することは、また、状況を変革する事です。なぜかというと、状況は心であり、心は状況であるからです。目覚めることが重要です』
ピーイング・ピースより ティク・ナットハン師
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藤川 チンナワンソ 清弘 和尚
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